塾なんか無くなったら良い、そう思っていました

塾なんか無くなったら良い、そう思っていました

20代の間は、塾なんか無くなったら良いと、ずっと思っていました。
まなびの森を始めたときでもそうでした。
でも、20年以上子どもたちと勉強してきて、無くなってはいけない塾もあると思う気持ちは強くなりました。

塾なんて無くなったら良い

そう願い続けた私が「個別指導まなびの森」を開き、25年経った今も変わらない思い

私は学習塾で講師として7年間、子どもたちと向き合ってきました。
学校の教員経験はありませんが、日々の指導の中で多くの生徒の悩みや不安に触れ、教育の現実を肌で感じてきました。
そしてその頃からずっと、「本当は塾なんて無くなったら良いのに」という思いを抱えていました。


子どもたちが放課後に自由な時間を持ち、家族と過ごし、好きなことに没頭しながら自然と学ぶ力を育てられる社会こそ理想だと考えていたからです。
塾に通わなければ不安になる、塾に行かないとついていけない──そんな状況は、本来の学びの姿ではないと感じていました。


しかし、講師として子どもたちを見続ける中で、理想だけでは救えない現実があることも痛感しました。
学校の授業だけでは理解が追いつかない子。
集団のペースに合わず置いていかれる子。
もっと学びたいのに環境が整わない子。
家庭の事情で勉強に集中できない子。
自己肯定感が低く、「どうせ自分なんて」と心を閉ざしてしまう子。


私は何度も思いました。
「塾が無くなったら良い」という願いは、子どもたちが安心して学べる場所が他にあることが前提なのだ、と。


しかし現実には、その“安心できる場所”が足りていません。
学校でも家庭でもない、第三の居場所。
評価されるためではなく、比べられるためでもなく、「自分のペースで学んでいい」と言ってもらえる場所。


私はその場所をつくりたいと思い、「個別指導まなびの森」を開く決意をしました。


■「塾を開く」という矛盾と向き合って

塾を開くと決めたとき、正直に言えば葛藤がありました。
「塾なんて無くなれば良い」と言ってきた自分が塾をつくるのですから、矛盾しているように見えるかもしれません。


しかし私は気づきました。
無くなってほしいのは、“子どもを追い詰める塾”であって、“子どもを救う塾”ではないのだと。


点数だけを追いかけさせる塾。
競争心を煽り、できない子を置き去りにする塾。
保護者の不安を刺激し、必要以上の授業を売る塾。


そうした塾は、確かに無くなってほしいと思います。
しかし、子どもが安心して学べる場所、心を休めながら前に進める場所は、むしろ必要とされています。


講師として7年間、私は子どもたちの「助けて」という声を何度も聞いてきました。
その声に応えるために、私は「個別指導まなびの森」を開いたのです。


■「勉強を教える場所」ではなく「自分を取り戻す場所」に

私がつくりたい塾は、勉強を詰め込む場所ではありません。
子どもが自分のペースを取り戻し、「できるかもしれない」と思える場所です。


・学校のペースに合わなくても良い
・朝起きられない日があっても良い
・集中できない日があっても良い
・ゆっくり進んでも良い


大切なのは、その子がその子らしく学べることです。


講師としての7年間、私は子どもたちの表情を見てきました。
できない問題が解けたときの笑顔。
「わかった!」と目を輝かせる瞬間。
そして、誰かに認められたときにふっと緩む表情。


その一つひとつが、子どもを前に進める力になります。


だから私は、個別指導という形を選びました。
一人ひとりのペースに合わせ、心の状態に寄り添い、その子の「できた」を積み重ねるためです。


■そして25年──開設当初の思いは、今も変わりません

「個別指導まなびの森」を開いてから、気づけば25年が経ちました。
時代は変わり、学習環境も大きく変化しましたが、私の思いは開設当初からまったく変わっていません。


子どもたちが安心して学べる場所をつくりたい。
その子がその子らしく成長できる場を守りたい。
勉強を通して、自分を好きになれる瞬間を届けたい。


この思いが揺らいだことは一度もありません。


25年の間に、多くの子どもたちが「まなびの森」を巣立っていきました。
その一人ひとりの笑顔が、私の原点を確かに支え続けています。


私はこれからも、開設当初の思いを胸に、子どもたちが安心して学べる場所を守り続けていきます。
「個別指導まなびの森」は、これからも変わらず、子どもたちの“自分らしさ”を育む場所でありたいと願っています。